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苦しみに遭うことの幸い(2月2日霊想より)

詩篇119篇71節

「苦しみに遭ったことは、私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」(新改訳)


 この言葉をあなたの口から語れることになった時、それはあなたが完全に過去のトラウマや傷から立ち直ったことを意味します。苦しみの渦中にいる時には、幸せだとか、神の御言葉の正しさなど吹き飛んでしまうでしょう。感謝・喜び・平安という言葉が心に湧いて来ることなどないでしょう。


 そして、実はその苦しみの時こそ、神を求め始める時なのだということを、冷静な時や試練の前(順境の時)は、頭ではよく理解しているはずでしょう。


 よく、私が青年の時語られた言葉の中に、「ピンチはチャンス」という言葉がありました。苦難の時こそ、神が私たちに与えたチャンスであり、それを掴むかどうかはあなた次第です。それを掴んだら、あなたは大きな成功を得られるという言葉です。果たして私たちは苦しみに遭わなかったら、幸せなのでしょうか。


詩篇119篇67節 「私は苦しまない前には迷いました。しかし、今はみことばを守ります。」


 教会に通い続けている方、クリスチャンたちは、その苦しみに遭ったからこそ、今教会に通い続けているではないでしょうか。そこでイエスが十字架に架かった理由を知り、それが私の救いの為であったということを信じてから、価値観が変わります。しかもこれは、徐々にではなく、一瞬のうちに起こることです。状況が変わったら、自分の心も変わるというようなものではないのです。神の言葉の真理をあなたが受け取ったかどうか、鍵です。


 私たちも苦しみの中でこそ、発見できた神の言葉の真理があったのです。この詩篇の著者は苦しみをとおして、自分の姿に気がつき、神の前で悔い改め、改めて神のことばから慰めを受け取ったのでしょう。人から受ける嘲りのことばの連続の中で、彼は神のことばを聞き、心を留め、真の慰めと力を受け取ったのです。悩みのときの真の慰めは、神の真実なことばです。神のことばこそ人を生かすのです。


 私の人生の中で、何度も試練の中で神の言葉に助けられ、具体的に神が助けて下さったことでしょう。この神の言葉が私の心の中に染みわたった時の感動は今も忘れられません。続く72節にこうあります。

「あなたの口のおきては、わたしのためには幾千の金銀貨幣にもまさるのです」

著者は神の言葉がどんな財宝・金銭よりもまさるものだと断言し、そしてその神の言葉が私自身を造り変えていくと73節で語っています。


 完全に造り変えられ、完璧になったから、この71節の言葉を語れるわけではないことにも留意しましょう。その都度、助け出された時に、いや助け出される前でもこの告白ができるはずです。


 実は、この教会の中にも、71節からの体験の証を持っている方は大勢います。どうぞ、この神から来た苦しみの告白をしあいましょう。特別讃美のみならず、証の告白をぜひ、礼拝の中でわかちあってください。申し出をお待ちしています!

 
 
 

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